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わたしの昼下がり
第34章 一時間目
 今朝もいつものように夫が出かけていき、次いで娘たちも出て行く。十五分ほどして電話が鳴る。

 「じゃあ、今から伺います」

 受話器を置くと数分で△井が来る。鍵を開けると、ドアを小さく開けて体を滑り込ませてくる。△井が脱いだ今日もよく磨かれた靴を靴箱にしまう。三和土にはわたしのサンダルだけが残る。もちろんドアの鍵はすぐに閉めるから、誰かが入って来るわけでもないが、訪問者の痕跡を隠すのは、無事にことが済むようにとのおまじないのようなものだ。脱いだ背広を受け取る。

 「いつも手ぶらですみませんね、奥さん」
 
 手土産など余計なものでしかないことはお互い承知の上だが、△井は背広を渡しながらいつもそんなことを言う。夫と妻ではないことを改めて確かめるかのように。

 「いえ…お気遣いなく、△井さん」

 受け取った背広をハンガーにかけてついさっきまで夫の背広がかかっていた鴨居に吊るす。△井は椅子に座るとネクタイを緩めて煙草に火を付ける。

 「吸い殻が決まったようにいつも三本。律儀な方ですよね、ご主人は」

 時間通りのバスに乗って、今頃は、吊革につかまって電車に揺られているだろう。

 「ボクも律儀ですから三回は…」

 △井がニヤッと笑う。

 「ああ、今日ぐらいから、要る日でしたね」

 △井が煙を吐き出す。今日ならまだ大丈夫だとは思うが、これも念のためのおまじないのようなもの。引き出しの奥の小箱から包みを三つ取り出す。

 『あまりたびたび奥さんに薬局に行っていただくのもなんですからね。手土産の代わりにもなりませんが』

 そう言って、△井が持ってきた小箱。

 「いいんですか三つで。奥さんがお望みでしたら四回でも五回でも、ですが。まあ、しくじってしまったら、むしろ要らなくなるんでしょうがね。お嬢ちゃん、妹か弟が欲しいっておっしゃっていませんか?」

 麦茶を注いだグラスを片手にまたニヤッと笑う。学校のチャイムが風に乗って聞こえてくる。

 「さてと…お嬢ちゃんも”一時間目”が始まるようですね」

 △井は麦茶を飲み干して椅子から腰を上げ、わたしは壁掛けの時計を見やって”三時間目”が終わる時間を頭に入れながら、開けていた窓を閉める。

 「今日も学ばせてもらいますよ。奥さんのいろいろなことを。”一時間目”の教科は何にします?」
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