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淫夢売ります
第54章 斜陽の楽園:繰り返す悪夢
耳に苦しげに喘ぐような呼吸音がつく。これは私の呼吸?それとも、あの男のそれなの?
世界が暗くなっていく。恐怖でどうにかなってしまいそうだった。

「今・・・」

男が口を開いた。ひぃっ・・・と息を呑むが、やはり私の身体は全く動かなかった。
一体何をされるのか?

今・・・のあと、咄嗟に『殺してやる』という言葉が浮かんでしまう。男の手がにゅうっと伸びてきて、私の首を絞めるのではないか、実は手にナイフを隠し持っていて、そのまま刺し殺されるのではないか・・・そんなイメージが頭の中を駆け巡る。

しかし、男が発した言葉は、私の想像とは全く違うものだった。

「今、幸せか?・・・もし・・・」

え?幸せ・・・って・・・。

突然浴びせられた奇妙な質問は、私の身体を縛る恐怖から、私の意識を少しだけ逸らす働きがあったようだった。

幸せ・・・そう、私、今幸せ・・・だから、あなたにそれを奪われてなるものか!

理不尽な仕打ちに対する怒りが恐怖を凌駕し、私に力をくれる。手が、ついで、足が動くのを感じる。腹の底から力が蘇ってきた。
私がジリっと足を引く。しかし、その様子を見ても男がそれ以上歩み寄ってくる気配はなかった。どういうわけか近寄ることをためらっているようだった。

い・・・今だ・・・っ!

そう思った私は、一言『幸せです!』と言い捨てて、踵を返して走った。とにかく、逃げなきゃ・・・その一心で走って、走って、走って、走り抜いた。公園から出たところで、左右から人が来るのを見て、やっと私はその足を止めることができた。

はあ、はあ、はあ・・・・

膝に手をついて荒くなった呼吸を整えようとする。足がガクガクと震えており、本当は確かめねばならないのだろうが、怖すぎて後ろを振り返ることもできない。ただ、なぜか、もうあの男は追ってきてはいないという確信があった。

大きく息をついた私は、助かったという安堵とともに、奇妙な感覚を覚えていた。それは、私があの男から逃げるとき、背中の方で聞こえた男の声のせいにほかならない。

あの男は言ったのだった。
一言だけ。

『そうか』・・・と。

私に『幸せか』と尋ねた男がこぼしたその言葉には、何故か悲しみがこびりついているように感じられた。
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