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千一夜
第55章 第八夜 island
男の話は面白かった。自分勝手にだらだら話すのではなく、男は無駄を省いて要点をうまくまとめて話した。私の頭の中に男が話す情景が鮮明に浮かんだ。そして誘導するように私を話の中に引き込む。いつもなら私は客の話の聞き役になるのだが、ついつい私もその男の話に乗せられてしまった。
 だが、拙いと思った瞬間が一度だけあった。「男の仕事について根掘り葉掘り訊ねたりしない方がいいわよ」加藤は私にそうアドバイスしたことがある。
 客のすべてが成功者ではない。ひょっとしたら目の前に座っている客は、今日仕事で大きなミスをしたかもしれない。そんな客に仕事の話を振ったらどうなるか。客商売の難しいところだ。
 私はついうっかりそのルールを忘れてしまった。
「お仕事は何をされているんですか?」
 私はそう言った後に後悔した。その男の表情が一瞬で変わったのだ。
「うん~ん」
 男はそう唸って顔をしかめた。
「すみません、お客さんの職業を訊ねたりしちゃだめですよね、本当にごめんなさい」
「構わないよ。でもどう言ったらいいのかな」
「……」
 男は怒ってはいない。私に自分の仕事についてどう説明するのか考えている。
「会社に行くんだけどさ、会社員じゃないんだよね」
「会社員じゃない?」
「そう、正確に言うと僕は会社員じゃない」
「……」
 アルバイト? という言葉は飲み込んだ。この歳でアルバイトって……、服だって会社にアルバイトで行く人間にはとても買えないようなジャケットを着ている。
「そうだ、名刺を君に渡せばいいんだ」
 男はそう言うと、ジャケットの内ポケットに右手を入れた。そして名刺入れを取り出す。
「……」
 男の名刺入れのブランドは確か……ゴヤールだ。
「ごめん、人の名刺はあるけど、自分の名刺はもうなくなったみたいだ」
 男は名刺入れの中の自分の名刺を探しながらそう言った。
「お客さん、私が悪いんです。お客さんにもプライバシーがありますから」
「僕のプライバシー何て大したことないよ」
 男は名刺入れを内ポケットに戻した。
「……」
「深川めしいただけるかな?」
「はい、今ご用意します」
 男は旨そうに深川めしを食べている。そして男は深川めしを二杯平らげた。
「あー美味かった。また来てもいいかな?」
「もちろん、お待ちしております」
「いい店を見つけたよ」
「ありがとうございます」
「……?」
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