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千一夜
第55章 第八夜 island
 強い雨が止むことなく降り続けている。このままだと常連客の足もこの店には向かないだろうし、一見の客も期待することはできない。
 勤め始めて来店客がゼロという日はなかったが、もしかしたら今日私はそれを初めて経験するかもしれない。
 いや、そんなことより帰りのタクシーがつかまらないか心配になってきた。爆弾低気圧に襲われている東京にタクシーは走っているだろうか。
 最悪店の近くのビジホに泊まることも考えておかなければならないが、私が今思っていることは見知らぬ誰かも思っていること。万が一帰宅困難者がビジホに殺到したら、私はどこに向かえばいいのか。
 そんなことを考えていたら、オーナーから電話が掛かって来た。
「工藤さん、爆弾低気圧ですって。今テレビのニュースでそう言っているわ。今お客さんいる?」
 オーナーも私を本名で呼ぶ(もちろん店では源氏名で呼ばれるが)
「まだお一人もいらっしゃいません」
「十時をリミットにしましょうか? その時間までお客さんがいなかったらもう店を閉めてもいいわよ。こんな日だとタクシーもつかまらないでしょ」
「いいんですか? 十時で閉めても?」
「構わないわよ。こういう日もあるということ。それとタクシーがつかまらなかったら私の家に泊まりなさい。遠慮はいらないから」
「ありがとうございます」
 受話器を置くと店のドアが開く音がした。
「いらっしゃいませ」
 ドアの方に向かって私はそう言った。
「……」
 店に入って来た男は何も言わずに、服に着いた雨粒を手で払っていた。長身の男だと言うことはわかったが、まだ顔がはっきりわからない。おそらく常連客ではない。
「お客様、どうぞこれをお使いください」
 私は乾いたタオルを持って男にそう言った。
「ありがとう」
 私からタオルを受け取ってそう言った男の客を私は知っている……というか見たことがある。
 自力を諦め、永久就職先を探すために(永久就職先から見つけてもらうためにと言った方がいい)、丸の内の有名コーヒーチェーン店でアルバイトをしているときに、よく店にやって来た男だ。
 この男はいつもコルネッティイとトゥデイズコーヒーのホットをオーダーしていた。
「いらっしゃいませ」
 私は席に腰かけた男にそう言った。
「何だか雨宿りみたいでごめんね、この店初めてなんだけどいいかな?」
「ふふふ、かまいませんよ」
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