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千一夜
第55章 第八夜 island
 席に座り、カンターの上に両肘をつく。両手を組んで手首に巻いたロレックスをシャツの袖からわざと出す(見せつけると言っても過言ではない)。女の視線を誘導するような実に軽薄な行動。女は間違いなく自分の高級時計に目を向ける。そして男は自分の時計に目を向けている女の様子を窺う。男はこう思う「この女は半分落ちた」と。
 こういう客に言わなければならないことは「素敵な時計ですね」という言葉。男の自尊心を満足させるために用意されている台詞。そのときの私の心の中の声はこうだ。「アホ」
 本当の男になりたいのなら細かなことにも心を配らなければいけない。一流の男になりたいのであれば、さりげなさを身に付けろと私は世の男にアドバイスする(耳を傾けようが傾けまいが、そんなこと私にとってはどうでもいいことであるが)。
 私の夫は左の手首にパテックフィリップを巻いて、息子と娘のオムツを替えていた。高級時計とオムツ替え。私が笑うと、夫は私にこう言った。
「何か可笑しいか?」
 私は夫にこう答えた。
「ごめんなさい。私は今とても幸せよ」
 と。
 いけないいけない。このままだとロレックスに申し訳ない。ロレックスに恨みなんか一つもないし、それどころか私はロレックスに嫉妬したことがある。
 私の夫が初めて手に巻いた高級時計はロレックスだ。1940年代に作られたバブルバックという時計。もちろん夫は今でもその時計を所有している。
「なあ。凄いと思わないか? オリジナルの部品だけでまだ正確に時間を刻んでいる。こういう顔をした時計はもうないからな」
 夫は文字盤のことを顔を言う。経年劣化ですすけたような文字盤。こんな古ぼけた時計に夫を奪われたくない。
 私は夫が眠りの世界に落ちた後に、こっそりとその時計を取り出して、思い切り踏みつけようかと思った。だができなかった。私は嫌な女になりたくない。
 ただ一言だけ、ロレックスに向かってこう言ってやった。
「バカ」
 一月経ち、そして二月経ち、私はスナックの仕事にだんだん慣れてきた……というより、男を品定めする目が養えてきたと言った方がいいだろう。
 本当に金持ちなのか? 誠実な男なのか? 妻子持ちなのか? 私の目と勘は徐々に鍛え上げれれていった。
 そんな風にスナックという仕事に自信を持ち始めたときだった。ある雨の夜、一人の男が店のドアを開けた。
 
 
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