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千一夜
第55章 第八夜 island
 それは名前を呼んでもらえないと言うこと。
 わざとそう言う呼び方をするのか、それとも人の名前を覚えることが出来ないという病を抱えている人間なのかはわからない。
 例えばこんな感じ。
「○○さん」
 この○○は派遣会社の名前だ。
「派遣さん」
 確かに私は派遣会社から派遣されている。そうであっても「派遣さん」と呼ばれると労働意欲が一気に削がれる。所詮自分は使い捨てにされる人間なのだと思うと、上司から「仕事はね、自分から見つけてするものなんだよ」と言われても「そんな台詞は正社員に言え」と毒づきたくなる。(ちなみに私はまだ毒づいたことはない)
 もちろんきちんと名前を呼んでくれる奇特な人だっている。しかし正社員と派遣の間には乗り越えることが出来ない高い壁が立っている(いつかこの壁がベルリンの壁みたいに取り壊されることを私は心から願っている)。
 だから派遣で働く多くの人は、間違いなくこう思っている。生活が出来ればそれでいい。正社員になりたい? そんな希望は持ってはいけない。夢などない方が心が軽い。心が軽い自分は自由なのだと思うことが出来る……ていうかそう自分に言い聞かせている。
 私は自分の力の限界を知った。自力ではなく他力……。そこで私は週に二日、丸の内にある有名コーヒーチェーン店でアルバイトを始めた。
 キーワードは丸の内とコーヒー。
 エリートが集う街丸の内。彼らはアメリカの映画にあるように出社前に温かい(冷たくても一向に構わないが)コーヒーを求めにやってくるはずだ。
 可愛い子羊が目の前にいるのだ。神から選ばれた男たちは黙っていない……はずだ。容姿がまぁまぁでほんのりと膨らんだ胸を愛するイケメンのエリートは必ずいる……いやいやいてもらわなければ困る。いなかったら私の計画は頓挫してしまうのだ。
 しかし、私は子羊にはなれなかった。結局私は、有名コーヒーチェーン店の一従業員(アルバイト)に過ぎなかったのだ。
 正社員になれず、永久就職先も見つけられないまま、時間だけが過ぎて行く。間違いなく私は、ずっと一人のままで大都会(こういう言い方がすでに私を老人化させている)東京で生きていくことになるのだろう。
 そして私は未来について考えることを止めた。考えれば考えるほど私は惨めになっていく。私ごときが不満を言ったところで世の中は変わらない。
 万事休す……。
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