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千一夜
第50章 第七夜 秘密の場所
「俺の記憶に間違いがなければ、君は朝食のときご飯を三杯食べたと思うんだけど」
 朝食を済ませて、私と咲子は宿から歩いて龍泉寺に向かった。自然に囲まれた寺の境内を私たち二人は手を繋いで巡った。
 それからすずかけの道に戻ると、“名水で淹れたコーヒー”という看板が目に入った。時間は午前十時を少し過ぎていた。私と咲子は宿の隣の喫茶店に入った。席に座り「コーヒーを二つ」そう私が言うと「それからホットケーキと主人にはドーナツを」と咲子が付け加えた。わざわざドーナツの前に主人と言う言葉をつけて。
「それがどうかした?」
「今君は何を食べている?」
「ドーナツだけど」
「それ、俺のだよな?」
「そうだけど。だって亮ちゃん、食べていいって言ったじゃない」
「確かに言った。でもさ、君はたった今自分のパンケーキを平らげたよな?」
「平らげた……美味しかったわよ」
「そしてドーナツを食べている。君のお腹、底なしなんだけど」
「どういう意味?」
「君は大食いだ」
「失礼ね、私レディなんですけど。お腹が空いてただけじゃない」
「そんなに甘いもの食べると名水で淹れたコーヒーの味がわからなくなるぞ」
「ご安心ください、このコーヒーが美味しいということはわかりますから」
「ああ言えばこう言う」
「亮ちゃんもね」
「ふん」
「何がふんよ、亮ちゃん、バカなんだから」
「紅葉が綺麗だったな」
 私は話題を変えた。
「帰りたくないわ」
「俺は約束した。来年の夏にもう一度ここに来るってね」
「雪が降る洞川温泉もいいと思うんだけど」
「確かにな。でもそんなことを言ってたらきりがなくなる」
「雪、降らないかな」
「……」
 小さな雪の綿がひらひら宙を舞っている。風が吹く。すると雪は地に降りることを躊躇う。ゆらゆら揺れて、ずっとずっと飛び続ける。やがて風が止むと、雪は覚悟を決める。地面にそっと足をつけて、誰にも悟られるようにすっと消える。
 大地が冷えて、雪の勢いが増していくと、すずかけの道が雪の綿で覆われる。装束を纏った修験者が一人、また一人、右手に持った錫杖を地面に着きながら歩いてきた。「シャンシャン」と音が鳴る。
 修験者が列を作ると「シャンシャン」という音が大きくなった。
 私の頭の中でその音が途切れることなく鳴り続けている。
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