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家は檻。〜実父の異常な愛〜
第5章 初花

ちゃぶ台の上に、湯気の立たない料理が並んだ。
豚肉の冷しゃぶは、茹でた薄切り肉の上に刻み野菜がふわりと盛られ、ぽん酢の香りが涼しげに漂っていた。
その隣には、小鉢に盛られた枝豆。きゅうりの浅漬け。
湯気の代わりに、味噌汁の表面に浮かぶオクラの輪が、つるりと揺れていた。
夏の夜。熱を持った身体に、少しでも優しいものを――
そんな思いで、こよみは献立を選んだ。
「いただきます」
孝幸の声が短く響いたあと、箸の音だけが部屋に満ちた。
こよみも静かに枝豆に手を伸ばす。けれど、味はまるで、遠い場所で感じているようだった。
今日のことを、どの言葉で伝えるべきか。頭の中で何度も組み立てては崩れ、また繰り返す。
けれど、言わなければならない。黙っていることが、どこか嘘のように思えた。
「……今日、学校で……血が出ました。プールのときに……初めての、生理が来たみたいで……」
言葉にした瞬間、背中が少し震えた。
孝幸の箸が、ぴたりと止まった。
湯呑みに手を伸ばす音が、ひどく大きく聞こえる。
やがて、酒が静かに注がれる音が、こよみの耳に流れ込んできた。
「……そうか」
それだけだった。
こよみは俯きかけた視線を、無理に戻した。
けれど目の前の料理は、もうさっきまでの料理ではなくなっていた。
味がしない。けれど、のどを通すことだけは覚えていた。
それすらも、今はただ“役割”のようにこなしていた。
父の湯呑みが、ちゃぶ台の上で軽く鳴った。
「もう下がっていい」
その言葉を受け取るまで、数秒かかった。
こよみは黙って立ち上がり、箸を揃えて置いた。
お茶碗を台所へ運びながらも、胸の奥に重たいものが残っていた。
どうして怒ったのか、どうして無視されたのか、わからない。
けれど、それを聞くことも、許されていないのだと感じた。
背を向けた父の肩越しに、テレビの音が流れ出した。
こよみは台所の蛇口をひねり、水音にまぎれるように、皿を洗い始めた。
その夜、父の声が、こよみを呼ぶことはなかった。
布団に入っても、目は冴えていた。
こよみは、まばたきをするたび、さっきの言葉を反芻していた。
「そうか」。たった一言で、全部が消えていくようだった。
体はどんどん大人になっていくのに、心はどこにも行けないままだった。
豚肉の冷しゃぶは、茹でた薄切り肉の上に刻み野菜がふわりと盛られ、ぽん酢の香りが涼しげに漂っていた。
その隣には、小鉢に盛られた枝豆。きゅうりの浅漬け。
湯気の代わりに、味噌汁の表面に浮かぶオクラの輪が、つるりと揺れていた。
夏の夜。熱を持った身体に、少しでも優しいものを――
そんな思いで、こよみは献立を選んだ。
「いただきます」
孝幸の声が短く響いたあと、箸の音だけが部屋に満ちた。
こよみも静かに枝豆に手を伸ばす。けれど、味はまるで、遠い場所で感じているようだった。
今日のことを、どの言葉で伝えるべきか。頭の中で何度も組み立てては崩れ、また繰り返す。
けれど、言わなければならない。黙っていることが、どこか嘘のように思えた。
「……今日、学校で……血が出ました。プールのときに……初めての、生理が来たみたいで……」
言葉にした瞬間、背中が少し震えた。
孝幸の箸が、ぴたりと止まった。
湯呑みに手を伸ばす音が、ひどく大きく聞こえる。
やがて、酒が静かに注がれる音が、こよみの耳に流れ込んできた。
「……そうか」
それだけだった。
こよみは俯きかけた視線を、無理に戻した。
けれど目の前の料理は、もうさっきまでの料理ではなくなっていた。
味がしない。けれど、のどを通すことだけは覚えていた。
それすらも、今はただ“役割”のようにこなしていた。
父の湯呑みが、ちゃぶ台の上で軽く鳴った。
「もう下がっていい」
その言葉を受け取るまで、数秒かかった。
こよみは黙って立ち上がり、箸を揃えて置いた。
お茶碗を台所へ運びながらも、胸の奥に重たいものが残っていた。
どうして怒ったのか、どうして無視されたのか、わからない。
けれど、それを聞くことも、許されていないのだと感じた。
背を向けた父の肩越しに、テレビの音が流れ出した。
こよみは台所の蛇口をひねり、水音にまぎれるように、皿を洗い始めた。
その夜、父の声が、こよみを呼ぶことはなかった。
布団に入っても、目は冴えていた。
こよみは、まばたきをするたび、さっきの言葉を反芻していた。
「そうか」。たった一言で、全部が消えていくようだった。
体はどんどん大人になっていくのに、心はどこにも行けないままだった。

