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天狐あやかし秘譚
第66章 奸智術数(かんちじゅっすう)
さっぱりしていると言えば聞こえがいいが、あまり特徴らしい特徴がない顔。
スラリとしていて、スタイルは良い。
黒いTシャツに、柔らかそうなラフな藍色のジャケットを羽織り、下は生成りのチノパンだった。

「緋紅・・・」

その名を口にしたとき、なにかを思い出しそうになった。
なにか、とてもひどい、ひどい何かだ。

でも、すぐに私は気を取り直し、鍵を開けた。

会いたかった。

「緋紅さん!」
私は彼に抱きついた。

懐かしい、柔らかな匂い。
彼の手が私の背中に回る。もしかしたら私が泣いてたのに気づいたのかもしれない。

「どうしたんだい?綾音。急に甘えてきて」
ぽんぽん、と優しく背中を叩いてくる。
凍りついた心が溶かされるような、その言葉と掌の温かさ。

しゃらっと、彼が持っているレジ袋がこすれる音がする。それを聞いて、ああそうか、と思い出した。

ああ、そうだ、そう。なんで忘れていたの?
今日は彼と約束していたんだった。そうだ、そうだった。
付き合って半年だから、お祝いしようって。
ワインとそれから『綾音が好きだから』って、ちょっといいお肉、買ってきてくれるって言ってたじゃない・・・。

「良かった、これは夢じゃなかった。」
思わず口に出してしまう。
「え?夢?・・・夢って何?」

緋紅さんが優しく聞いてくる。
聞かれて、私はふと思った。

なんだっけ?なにか・・・夢のこと、さっきまで考えていた・・・気が・・・
なんだか、よく思い出せない。

「ん・・・なんでもない。なんだか嬉しくて、夢のようだって」
「ああ、そう・・・それなら良かった。でも、ほら、ハグを解いてれないと、夢の時間、始められないぜ?」

ふふっといたずらっぽく笑う。
あ・・・いけない、と思い、私は身を離した。

再び彼の顔をよく見る。
たしかに特徴がない顔だけど、今となっては私の大事な彼氏だ。

そう、彼こそは、私が昨年の秋から付き合い始めた恋人、神内緋紅(じんない ひぐれ)、その人だった。
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