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天狐あやかし秘譚
第117章 献身奉仕(けんしんほうし)
☆☆☆
私たちの家は、京都の町外れというとても不便なところにあった。中学校に通うのも、夏は暑い中、冬は寒さに凍えながら都合40分ほど歩かなければならない。バスはあるが、それもまた不便だった。
しかも旧家だかなんだか知らないが、家の作りがとても古くて、冷暖房もしっかりと効かない。母もいつも『この家はキッチンが不便だ』とこぼしていた。部屋数は多いけれども、そのどれもが狭かった。それでいて、大昔から受け継いでいるとやらで物も多い家だったので、私と水有は二人で一室しか与えられず、狭い部屋をなんとかやりくりして使っていた。
学校の同級生たちは皆、家ではベッドで寝ているというのに、私たちは毎晩布団を敷いて、毎朝布団を片付けてと・・・そんな生活にもうんざりしていた。
ジジは口を開けば『藤塚家はその出自は戦国武将にまで遡る名家で・・・』と話し始める。確かにジジが使っている床の間付きの部屋の天井近くの壁には、歴代当主だという白黒の写真がずらりと並んでいた。小さい頃は、その部屋の様子があまりにも怖いので、私たちは『おばけの部屋』とか『おばけの間』と呼んでいたくらいだ。
そんな『名家』だったらしい藤塚家ではあるが、どうやら今となってはそれほどの家柄ではないらしい。父は京都の名産品の輸出入を扱う会社に勤める普通のサラリーマンだった。そんな父について、母は「お父さんは課長さんで、すごくお仕事、頑張ってるのよ」と私たちに言ったものだった。気弱そうな父が会社でどんなふうに働いているのか想像ができなかったが、母の言葉を聞いて、『うちのお父さんは結構偉い人なんだ』と、幼心になんとなく誇らしく感じていたのを覚えている。
ただ、確かに父の会社はどちらかと言えば大手の部類だが、目立って給料が高かったわけではなかったらしく家の生活はさほど楽ではなかったようだ。私たちの習い事代や塾代を捻出するために、母もまた小さい会社の経理の仕事をして家計を支えていた。
こういうわけで、私たちが物心ついた頃から父も母も働いていて、家にいるのはジジとババだけだったが、少なくとも私は水有がいるので寂しいと感じたことはなかった。学校から帰れば水有といっしょに外に遊びに行ったり、時には自転車で遠出して二人でお友だちに会いに行ったりもしたものだった。
私たちの家は、京都の町外れというとても不便なところにあった。中学校に通うのも、夏は暑い中、冬は寒さに凍えながら都合40分ほど歩かなければならない。バスはあるが、それもまた不便だった。
しかも旧家だかなんだか知らないが、家の作りがとても古くて、冷暖房もしっかりと効かない。母もいつも『この家はキッチンが不便だ』とこぼしていた。部屋数は多いけれども、そのどれもが狭かった。それでいて、大昔から受け継いでいるとやらで物も多い家だったので、私と水有は二人で一室しか与えられず、狭い部屋をなんとかやりくりして使っていた。
学校の同級生たちは皆、家ではベッドで寝ているというのに、私たちは毎晩布団を敷いて、毎朝布団を片付けてと・・・そんな生活にもうんざりしていた。
ジジは口を開けば『藤塚家はその出自は戦国武将にまで遡る名家で・・・』と話し始める。確かにジジが使っている床の間付きの部屋の天井近くの壁には、歴代当主だという白黒の写真がずらりと並んでいた。小さい頃は、その部屋の様子があまりにも怖いので、私たちは『おばけの部屋』とか『おばけの間』と呼んでいたくらいだ。
そんな『名家』だったらしい藤塚家ではあるが、どうやら今となってはそれほどの家柄ではないらしい。父は京都の名産品の輸出入を扱う会社に勤める普通のサラリーマンだった。そんな父について、母は「お父さんは課長さんで、すごくお仕事、頑張ってるのよ」と私たちに言ったものだった。気弱そうな父が会社でどんなふうに働いているのか想像ができなかったが、母の言葉を聞いて、『うちのお父さんは結構偉い人なんだ』と、幼心になんとなく誇らしく感じていたのを覚えている。
ただ、確かに父の会社はどちらかと言えば大手の部類だが、目立って給料が高かったわけではなかったらしく家の生活はさほど楽ではなかったようだ。私たちの習い事代や塾代を捻出するために、母もまた小さい会社の経理の仕事をして家計を支えていた。
こういうわけで、私たちが物心ついた頃から父も母も働いていて、家にいるのはジジとババだけだったが、少なくとも私は水有がいるので寂しいと感じたことはなかった。学校から帰れば水有といっしょに外に遊びに行ったり、時には自転車で遠出して二人でお友だちに会いに行ったりもしたものだった。

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