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爛れる月面
第2章 湿りの海
「そうはいかないから来たんだろ? 君は見た目と違って純情らしい。値段じゃない、フィアンセから貰った大切な指輪だもんな」
「……。あんたって、ほんと最低ね。言われない?」
「よく言われる。特に女にね。だが、最高ともたまに言ってもらえるよ。同じく女にだ。無駄話はもういいだろ? 僕は君を抱きたくてしょうがない」
 ドアを開いたまま、廊下にも聞こえる声で言い、「指輪が欲しけりゃ入って来い。抱いてやる。イヤなら帰れ。指輪は僕が責任持って捨てておく」

 鳴らした舌打ちは、諾否を表すものではなく、

「……入るし。別にどうってことない」

 やっと言葉にできた紅美子は、肘を突き出して井上の胸を押しのけると、部屋の中へと入っていった。
 見送った井上が、ドアを閉める。

 昨日と同じ天井、キングサイズのベッド。
 望んではいないのに、再び、厄禍の地へ戻ってきたのだ。

 井上に背を向けたまま、紅美子は瞳を強く閉じ、意識を深くに封じてから、ゆっくりと長い息を吐き出した。声が近づいてくる。

「いさぎいいね。覚悟ができたってことか?」
「先に指輪返して」
「できたのか? って訊いてる」

 また舌を鳴らし、

「しつこいし。どうってことない、って言ったでしょ。聞こえなかった?」

 喉を濁らせて振り返ると、思いのほか井上が近くまで来ていて一歩後ずさった。怯んだと思われたくなくて、肩のバッグを開いて取り出したビニール袋を思い切り投げつける。

「何だ、このプレゼントは」
 突然の行動でもキャッチした井上は、袋から取り出したコンドームの箱を見て、「わざわざ買ってきてくれたのか」
「あー、わかるんだ。存在を知らないのかと思った。またあんたのきったないので汚されたらたまったもんじゃないから、買ってきてあげたの」
「積極的だな。抱かれる覚悟……いや、合意の上での、っていう充分な証拠になるな」
「気持ち悪いこと言わないで。指輪を取り返しに来ただけだって言ってるし」
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