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爛れる月面
第4章 月は自ら光らない
 怒りで忘れかけていた嗚咽が、喉を搾った。肉茎の先端だけが挿れられ、恐ろしい力で上へと圧し上げられる。硬度を増し、胎の中に残っている吐精を、小刻みに襞壁に撥ねさせて教えてくる。泣き叫びたいのに、髭面が唇をむしゃぶり、喉も舌もうまく使えない。泥流を内部へと押し戻すようにして井上が挿ってくる。たちまちに、口を封じられて肩に手を添えるだけしかできない紅美子に、芝居ではない、真実の絶頂が迫った。

「──最悪だったよ、あれ。思い出したら、あんたをぶっとばしたくなってきた」

 両手で頭を抱えて紅美子が首を振ると、

「よかったじゃないか。遠距離恋愛を円満に過ごす方法の一つが見つかって」

 店員が差し出すシートにサインをした井上が平然と言う。

「……。そだね。またしようっと。もちろん、あんたの見てないとこで」

 軽く言ったが、紅美子の内には、あの時の暗澹がずっと薄澱んでいた。軽く語ることでしか、触れることができないだけだ。丸の内のホテルでも、井上は悪虐ではあった。しかしここ最近の井上は、深淵の闇に引きずり込むような偏執を垣間見せる。そして、その渦に身を落とされた時の凄絶な悦楽は、背を寒からしめられるいっぽうで、紅美子の足首を捉えて離さなかった。

「そうしたらいい。明日から出張にいく。二週間は戻らないが、状況次第でもっと延びる」
「……ふぅん、どこいくの?」
「上海と大連」
「……。そ。じゃ、私は明日からしばらくは平和だ」
「と、いうことだから、今日はまだ帰さない」

 井上が席を立った。


   *   *   *


 自転車は久しぶりに乗った。

(やばい……短すぎた。パンツ見えたら徹に怒られる)

 ペダルを漕ぐごとにコートの割れ目から太ももが上下するのを見て思ったが、顔を上げれば、そんな心配は全くの無用だった。両側には稲刈り後の田圃がひたすら続いており、農道にも人影は全くない。よくテレビで見るドローンからの空撮映像を思い浮かべながら、紅美子は立ち漕ぎでスピードを上げた。
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