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爛れる月面
第4章 月は自ら光らない
 もう一度女が笑い、紅美子が更に深く眉間を刻むと、井上は軽く手のひらを見せた。ごちそうさま、と言ってルージュを拭ったワイングラスをテーブルに置き、女が自分の席へと戻っていく。

「……誰?」
「昔からの知り合いさ。気になるのか?」
「別に。どこの誰かくらい知っておこうと思って」
「まあ落ち着け」

 井上は店員に手で合図をして、紅美子のグラスにノンアルコールワインを注がせる。

「別に落ち着いてるし」
「てことはヤキモチか」
「んなわけないでしょ」紅美子は頬杖を付いて、「あの女の態度が超ムカついただけ。何なの、アレ」

 窓に映る井上の顔を見る。余裕ぶってワインを揺らしている。

「……あ、そっか。あの女は、海外での私だ」
 考えがまとまったわけでもないのに、「たぶん世界中に居るんでしょ? 日本は私。あの女とは、どこで会ってんの?」
「とんでもない濡れ衣だ」
 井上は可笑しそうに笑って、「僕は大富豪か? それに、もう別れてる。彼女は二人目の女房だ」
「……」

 紅美子は暫く黙ってから、息をついた。ゆっくり吐き出すつもりが、肩が動いてしまったのが悔やまれた。

「私と鉢合わせたのが、今の奥さんじゃなくてよかったね」

 まったくだ、と言う井上に、紅美子は前を向き直り、テーブルに肘をついて傾くと、こめかみの辺りの髪を指で弄りながら、

「なんで別れたの? どうせ浮気だろうけど」

 と、目を見ずに訊いた。

「浮気が原因で別れるようなタイプじゃないな、彼女は」
「浮気が原因にならないなんて、わけわかんない」
「彼女は結婚がしたかっただけさ。自分のキャリアのためにね。家庭も仕事も、両立する強い女性をアピールする必要があったんだろ」

 それを聞いて、意図的にふきだしてみせる。
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