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爛れる月面
第4章 月は自ら光らない
「これ、何の乾杯?」
「帰国祝い、にしとくか。これからどうするの?」
「この歳になって初めての会社勤め。これでもそこそこ名前売れてるから、ご大層な肩書きまで付けてもらっちゃった」
「へぇ、君が会社勤めねぇ。そこでは何を?」
「何もしないわ」女はもう一口飲み、「広告塔よ」

 聞いた井上は愛想笑いを浮かべ、

「いいじゃないか。『何もしなくていい』って言うなら、君が好きなことができる」
「そうね。そうするつもり」
 ここに至ってようやく、女は紅美子の方を見た。「ところで、この子は? 六人目か七人目くらいの奥さん?」

 値踏みするような目に紅美子が眉を顰めると、

「何人か飛ばしてるよ」井上は苦笑し、「君が知ってる女房とは別れてない」
「あら、案外長続きしてるのね。じゃ、この子は、なぁに?」
「……仕事仲間さ」

 女はワイングラスを持った拳を口元に当て、眼鏡の中で鋭く目を細めた。ふくよかな胸乳を寄せるように抱えて、反対側の指が肘を叩いている。

 やがて女は、あからさまな息を聞かせて笑った。

「いい仕事相手に恵まれてるわね。この子、私のことずっと睨んでる」

 すぐさま紅美子が、

「失礼しました。もともとこういう目なんです」

 と、不愉快を隠さず答えると、

「ま、コワい」
 身を竦めておどけてみせてから井上を見下ろし、「……あなた、まだこんなことしてるの? この手の子、ほんっと好きなんだから。でもちょっとは歳を考えなさい。若すぎよ」
「それ以上イジメないでくれ」
 井上は女がやってきた方を向き、「パートナーが待ってるんじゃないのか?」

 斜め向かいの窓際の席では、身装の良い高年の男が店員と何やら話していた。

「そうね。これ以上居たら、この子に引っ掻かれちゃう」
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