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爛れる月面
第4章 月は自ら光らない
 紅美子は背を向けたまま、

「あんたの上司は、女をひっかけるときだけじゃなく、捨てるときも部下を使うの?」
「……いや、今は俺の意志で来てる」
「安心した。私がさげまんだって教えてくれてありがと」

 結局、振り返らずに、桜橋をあとにした。


   *   *   *


 銀座のとあるビルの最上階にあるイタリアン。その窓際の席で食事をとっていると、正面に座る井上の背後から女が近づいてきた。

「もしかして、と思ったらやっぱり」

 いくつなんだろう、と考えさせるほど、時の経過に抗えない弛みを逆にうまく利用して、体にフィットしたスーツを円熟した大人の色香にまで昇華させている。いっぽうで、若々しく七分にパートしたボブスタイル、メリハリを利かせた華やかなメイクがよく似合い、更には、横長のアンダーリムの眼鏡が知性を、常に上がっている口角が自信を、見る者に強烈に訴えかけてきていた。

「もう日本に戻ってきたの?」
「いや、まだドバイとを行ったり来たりだ。君こそこっちで会うなんて珍しいな。学会か何か?」
「ううん、私は正真正銘、日本に戻ってきたの。大学辞めちゃった」
「ん? 総研との共同開発はどうしたんだ」
「飽きたの。連中、女には意地でもお金も名声も与えるつもりはないみたいだし」

 真っ赤なマニキュアを施した指が、井上のショルダーラインを往復している。その仕草も何ら滑稽ではなく、やって当然さすら感じさせる。

「君なら、乗り越えると思ってたんだけどね」
「ええ、乗り越えられるわ」女は即答し、「でも、時間がかかりそうだったから。ムダでしょ? そんなの」

 井上はスタッフに合図をしてグラスを持って来させ、ワインを注いだ。女に渡すと、自分のものを掲げて軽く鳴らす。
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