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爛れる月面
第3章 広がる沙漠
 ミラーで後ろを確認した井上が、タンクローリーを追い抜いて、

「尾形レベルの企業の業務フローは実にムダが多い。ウチのサプライチェーンに入ったら、ウチのシステムを使ってもらう。つまり、要らない人員が出てくる。君は真っ先にお払い箱だ」
「ヤラれた上にプーにされたんじゃたまったもんじゃないわ。責任取ってよ」
「残念だが採用権がない。仕事の責任は取れない。ヤッた、とかいう責任は、今、取ってるつもりだ」
「は? これのどこが責任取ってるっていうの」
「だから言ったろ。向こうに着いたら──」
「それ以上しゃべんないで」

 紅美子は陽が落ちてきた前景を眺めた。山肌を境として、空が紫に沈んでいる。

「旅行のいいところは……」
 アウディは、小田原厚木道路に入ろうとしていた。「こうやって普段よりも色々と話せることだな」

 東京が、離れていく。


   *   *   *


 行きついたのは、市街地から少し離れた山裾にある、静かで落ち着いた佇まいの旅館だった。提燈に照らされている入口へと続く石畳は、木の葉の一つなく清磨されている。その脇に空けられていた駐車場に車を駐めた井上は、トランクからジュラルミンのキャリーケースを下ろすと、助手席の窓へと身を屈めてきた。

「降りろよ」
「……」

 紅美子の口数は、青看板に湯河原の文字が増えるにつれて減り、温泉街に入ってからは皆無となっていた。窓が叩かれ、それでも座ったままでいると、井上の手でドアを開けられる。

「もうここまで来たんだ。あきらめろ」
「お風呂にだけ、ゆっくり入って帰る、ってわけにはいかない?」
「いかないね。メシも食わなきゃな」

 しぶしぶ、紅美子が低い位置から脚を外へと揃えて立ち上がると、ロックをした井上は石畳に音を立ててキャリーケースを引いていった。険しい顔つきで肩のバッグをかけ直し、腕組みをして同じ方向へと向かう。
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