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爛れる月面
第3章 広がる沙漠

「慌てすぎだ。君は栃木県を墨田区くらいに思っているのか? だいたい、研究発表中の徹くんが温泉なんかに来るはずがない」
井上は走行車線へ出たがっている冷凍車へと車間を譲ってやり、「ま、冗談のつもりだったが、本気で焦らせてしまったのは悪かった。栃木に行くなら向島線を北上してる。こんなところは走らない。君は東京生まれ東京育ちなのに、あまり道を知らないな」
「……車運転しないのにわかるかよ、そんなの……」
高鳴った鼓動を沈めるために、鼻から息を吐いて背をシートに収める。目黒方面からの合流を抜けると、再び車は加速し、谷町ジャンクションの大きな左カーブへと続く車線を選んだ。
「不倫旅行といえば定番の熱海……と言いたいところだが、予約が取れなかった。箱根もダメだった。湯河原で我慢してくれ」
「だから、ゆがわらってどこっ」
苛立ちをあらわに、もう一度訊くと、
「ギリギリ神奈川県だな。それならいいだろ?」
左前方から、堂々とした銀色の巨大な建物がせり上がってきた。六本木ヒルズ。東京タワー以上に全く縁がないし、普段暮らしていて目に入ることもない。
つまり車は、どう考えても、向かってはならない方角へと進んでいる──
「……。……やっぱり無理。引き返して」
紅美子は声を荒げることなく、静かに言った。
「何故?」
「明日、徹が東京に来る。あんたも聞いてたでしょ?」
井上を向き、目が合うことも辞さず、「……迎えに行くって約束してる。お願い」
「そうか。……そうだったな」
井上がアクセルを踏んだ。アップダウンはあるが直線が多い渋谷線を、性能が違うことを他の車に誇示するように、唸りを上げて駆け抜けていく。
「聞いてるの?」
「聞いてる」
「引き返して」
「……」
「お願いだから」
遅すぎる懇願となってしまうこともやむなく、隣を見つめていると、井上は富士山の裏へと沈み始めている夕陽に目を細め、
井上は走行車線へ出たがっている冷凍車へと車間を譲ってやり、「ま、冗談のつもりだったが、本気で焦らせてしまったのは悪かった。栃木に行くなら向島線を北上してる。こんなところは走らない。君は東京生まれ東京育ちなのに、あまり道を知らないな」
「……車運転しないのにわかるかよ、そんなの……」
高鳴った鼓動を沈めるために、鼻から息を吐いて背をシートに収める。目黒方面からの合流を抜けると、再び車は加速し、谷町ジャンクションの大きな左カーブへと続く車線を選んだ。
「不倫旅行といえば定番の熱海……と言いたいところだが、予約が取れなかった。箱根もダメだった。湯河原で我慢してくれ」
「だから、ゆがわらってどこっ」
苛立ちをあらわに、もう一度訊くと、
「ギリギリ神奈川県だな。それならいいだろ?」
左前方から、堂々とした銀色の巨大な建物がせり上がってきた。六本木ヒルズ。東京タワー以上に全く縁がないし、普段暮らしていて目に入ることもない。
つまり車は、どう考えても、向かってはならない方角へと進んでいる──
「……。……やっぱり無理。引き返して」
紅美子は声を荒げることなく、静かに言った。
「何故?」
「明日、徹が東京に来る。あんたも聞いてたでしょ?」
井上を向き、目が合うことも辞さず、「……迎えに行くって約束してる。お願い」
「そうか。……そうだったな」
井上がアクセルを踏んだ。アップダウンはあるが直線が多い渋谷線を、性能が違うことを他の車に誇示するように、唸りを上げて駆け抜けていく。
「聞いてるの?」
「聞いてる」
「引き返して」
「……」
「お願いだから」
遅すぎる懇願となってしまうこともやむなく、隣を見つめていると、井上は富士山の裏へと沈み始めている夕陽に目を細め、

