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千一夜
第48章 第7夜 訪問者 正体
「おはよう」と私が咲子に言うと、咲子は私に「おはよう」と返した。実に儀礼的な挨拶だったので、私は朝が来てしまったことを呪いたくなった。間違いなく私の「おはよう」にも心はこもっていなかったのでおあいこなのだが。
 東京でM会の交流会に出席した後、私と咲子は関西に向かった。奈良の旅は私と咲子にとっては新婚旅行となる。そう言えば大昔、成田離婚が流行ったそうだ(本当かどうかはわからないが)。もしかしたら私と咲子は、そういう定めを背負っているのかもしれない(決して一緒になることはないと言う定め)。折角の旅行なのにこんな思いをするなんて。
 私は嫉妬の取り扱いを間違えた。そもそも嫉妬にトリセツなんてあるのだろうか。私は咲子の後ろから咲子の秘部を突きながら、咲子の降伏を待った。「フィジークなんてしないわ」そう言って私に従順になることを願った。ところが咲子は私に逆らい続けた(咲子からすれば自由を主張し続けたと言うことになる)。
「絶対許さないからな」「嫌だ」私と咲子はそれを何度繰り返したか。不毛な議論、いやいやそんなのは議論なんかではない。着地点が見えない無益な言い合い(言い合ってもいないのだが)。人はそれを子供の喧嘩と言う。
 幸いなことはただ一つ。そういう情けない大人の姿を誰かに晒すことだけは免れたと言うことだ。
 ただ男はそんな中でも射精する。嫉妬に狂った男の射精は凄まじいい。私はいつもより強く、そしていつもより多くの精液を咲子の中で放出した。そして満たされた男と女はエクスタシーの余韻を感じながら眠りにつく……はずだった。
 ところが行為が終わった後も私と咲子は互いの主張を繰り返した。私も咲子も一歩も譲らなかったのだ。すると咲子が私に向かってこう言った。
「亮ちゃんて、最低最悪の小役人ね」
「……」
 体に流れている血液が一瞬で消えた感じがした。
 役所勤めの人間に言ってはいけないワード『小役人』
 怒り? そんなものはない。不安? もうどうにでもなれ。だったら絶望? それが一番近いかもしれない。
 咲子の顔なんか見たくもなかったが、こういうときすらレディファーストになってしまう(おそらく全世界で)。咲子がベッドを出て浴室に向かった。ぽつんと一人ベッドに残された私は、部屋の天井を見つめて咲子が言った『小役人』を心の中でなぞった。
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