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夏の華 〜 暁の星と月 Ⅱ 〜
第5章 緑に睡る
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
帰りたくないから、紳一郎は
「十市、レコードかけて」
と頼む。
中古の蓄音機で十市はレコードをかける。
レコードはもう父親が聴かなくなったものを紳一郎がこっそり持って来るのだ。
何しろ屋敷の音楽室のレコードの棚には膨大なそれが収集されているので、幾枚か持って行っても到底わからない。

…ドイツ人女の愛の歌が流れる。
しゃがれた…スモーキーな声…。
なんて歌っているのか分からないけれど…多分恋の歌だ。
「十市、踊れる?」
十市は煙草を唇の端に咥えながら、照れたように肩を竦めた。
「…少しなら…」
…意外だった。
十市はダンスホールになんて行ったことはないはずなのに。
…女の人と行ったのかな…。

十市は実はとてももてる。
メイド達だけでなく、狩猟あとの昼食会などで屋敷を訪れる色好みな夫人達は必ず、十市に眼をつけるのだ。
…あの淫乱な母のように…。

紳一郎はむっとしながら手を差し出す。
「じゃあ、僕と踊って」
一瞬、戸惑ったが十市は唇から煙草を抜き取ると、灰皿に押し付け、優しく手を取ってくれた。

…十市と踊るのは今夜が初めてだ。
十市に手を取られ、もう片方の手は紳一郎の腰に回される。
腰を引き寄せられ、思わぬ近さに十市の逞しい筋肉質の身体が迫る。
…成熟した男の胸や腰、逞しい太腿が触れ合う…。
紳一郎は甘く痺れるような疼きを感じながら、その厚い胸板に頬を寄せる。
十市の腕がびくりと震えた。
ワインの酔いのせいか、ドイツ女の愛の歌のせいか…。
気がつくと、思わぬことを口走っていた。

「…十市…。僕が好き?」
少しくぐもった声が聞こえた。
「…好きです…」
その言葉に勇気を得て、十市を見上げる。
「…じゃあ…キスして…」
十市の彫りの深い神秘の色を秘めた瞳が驚愕に見開かれる。
「…友情のキスでいいから…」
紳一郎はそっと瞼を閉じた。
…おでこか…ほっぺかな…。
どきどきする紳一郎の唇に煙草の匂いがする熱いものがそっと押し付けられた。
…しっとりと柔らかな感触…まさか…?
眼を開けると十市の濃い睫毛が触れあった。
十市は慈しむように紳一郎の唇に触れると、そっと離した。
そして強く紳一郎を抱きしめ、苦しげに呟く。
「大好きだ。坊ちゃん…」
「…十市…僕もだよ…」

…このまま時間が止まればいい。
紳一郎は心から願った。





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