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エリュシオンでささやいて
第8章 Staying Voice

「しかも教えてるのは、バタフライなんだよ」
「バタフライって、こういう奴?」
あたしは両手の肩を回すような仕草をすると、頷いた。
「ああ。なんで泳げねぇ小さな子供に、バタフライ教えていたのか今でも謎なんだが、それを見て俺、溺れるよりその男に怒鳴られる方が恐ろしい気分になってきて、岩間でこっそり同じように練習したんだ。そしたら、泳げるようになったんだ。案外的確指導だったんだ、その金髪男」
王様も怖れる男とはいかに。
「あなたも、バタフライを覚えたの?」
「まあ、即席だからもどきだがな。その時はどれが正しい泳ぎ方なんて知らねぇから、泳げるフォームで砂浜に戻って。それでそこで、遊泳者を目の前にして、見よう見まねでクロールらしきものと息継ぎを覚えたな」
見よう見まねで泳げるようになるのなら、この世にカナヅチというものはない。水に入れば力を入れて硬直してしまうあたしも、密やかにその部類に入るのだろう。
「あの金髪男に助けられたようなもんだな。じゃねぇと、帰るに帰れなくて岩間で干からびていたかもしれねぇな。……まあ、そっちの方が平和的な人生だったかもしれねぇけど」
須王は自嘲気に笑う。
その端正な顔に、寂しげな翳りが落ちたのを見て、居ても立ってもいられない心地になったあたしは、須王の頭を抱きしめた。
「……誘ってるの?」
「違うわよ。こうしたい気分だったの」
「やっぱり誘ってるんじゃねぇかよ」
「違うってば」
だけど須王も意味がわかっている。
彼の手があたしの背中に回り、ぎゅっと抱きしめてきたから。
心の傷は共鳴し合うんだ――。
……そう思っていたのに、彼は抱擁ではなく本当に抱き上げて、浮き輪から下ろしてしまう。
「ちょ……え!? あたし泳げないんだって! 溺れるっ!」
「溺れねぇって。ここは深さもねぇし、俺がいるんだから。手、俺の首に回して、足も俺にくっつけて」
慌てるあたしは、彼の首にしがみつき足を折りたたみながら抱きつくと、そのまま彼は窓際に歩き始めた。

