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エリュシオンでささやいて
第8章 Staying Voice

怖いけれど浮力が手伝って、お風呂の中で足をぷらぷらさせているような気分となり、ちょっとだけ恐怖心が薄れた。
確かに須王の上腕が出る高さなら、あたしも立てるかもしれないけれど、中学の時のプールが深くて溺れかけてしまってから、立つということも不安でたまらなかったりする。
「柚、大丈夫だから。ほら外を見ろ」
びくびくしながら、顔だけ横を向くと高層ビルと縦横無尽の道路が見える。
東京の縮図、四方に広がるパノラマ――。
「気分が沈んだ時、ここで見下ろせば、人間の形すら見えないちっぽけな自分の悩みなんて、大したことがないように思えて、不思議と元気が出た」
須王の悩み――。
「逆に言えば、俺の命の尊さなんて蟻ほどのものもねぇのかもしれねぇな。俺が死んでも、きっと誰も気づかない。俺の音楽も小さなものだ……」
陽光を浴びた彼は、眩しそうに目を細めて寂しげにぽつりと言う。
「そんなことないよ」
「ん……?」
太陽の光を浴びてキラキラと海のように深い青色をした、彼の瞳。
「この東京には、須王の曲が溢れている。あたしひとりひとりは小さな蟻さんかもしれないけれど、蟻さん同士があなたの音楽で結びついて集団になれば、大きくなる。そうやってあなたは、支持されてきたんでしょう?」
「………」
「ひとりひとりの力を侮ること勿れ、だよ。小さいからって馬鹿にしちゃいけない。歴史を作ってきたのは、そうした蟻さん達なんだから。音楽だってそう。昔は楽器や音色なんて豊富ではないのに、今はこんなに進化しているのは、蟻さんのおかげだよ。須王なんて、熱狂的な信者がいるじゃない。蟻さんの軌跡は、ちゃんと皆が知っている」
須王はあたしの胸に顔を埋めた。

