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『春のうつろい』
第9章 春爛漫(春らんまん)
 3

「はい、夜桜っす、屋台とかも沢山出ててぇ、楽しいんっすよぉ………」

 わたしは、そんな後輩くんからの急な誘いに、なぜか、ドキドキとしてしまっていた…

「あ…え………」
「先輩、行きましょうよぉ…」

 その明るい、屈託のない笑顔…
 
「え、ふ、二人……で?……」

「あ……は、はい………」
 だが、その笑顔が、そのわたしの呟きで、曇ってしまった…
「あ、い、いや、そ、そのぉ…」
 そして、戸惑いの声音も…

 あ…
 わたしはその時…
 そんな後輩くんの目のゆらぎと、本当に微かなのであるが、指先に挟んでいたボールペンの微妙な震えに気づいたのである。

「ぁ………」

 それは、いつもの彼の明るさのせいで気付かなかったのだろうが…
 この後輩くんは、彼なりに、必死にわたしを誘ってくれていたんだ…
 決して、簡単な軽さからの誘いではなかったのだ…
 わたしは、その微かな指先の震えから、そう感じ、彼を見る。

 それはそうよね…
 夜桜見物って…
 ある意味、デートの誘いだわ…よね。

 あまりにも突然で、不意で…
 そして、いつもの後輩くんの明るい人となりのせいで、この誘いの意味が、分からなくなっていたみたい。

「あ………」

「……………」
 わたしは、焦りの色が浮かびだした後輩くんの目をジッと見つめていく。

 そして、心の中で小さな騒めきが…

 ううん、いや、これは…

 小さな高鳴り………か?

 
 カラン………
 その時、脳裏に、あの夜の、ううん、あの朝方に…

 そう小さな音を鳴らして、濡れたアスファルトの上をコロコロと転がっていく…
 あの『指輪』の映像が、リアルに浮かんできたのである。

 そして…
 エレベーターの中で、左手を見せてきた彼、課長のあの不惑の目が…

 わたしは、確か、あの朝に…

 もういいか………

 そう、想い、決め、見切り、捨てたんだった……

 そう、もういい……かなって。

 その時、後輩くんの揺らぐ目が…
 優しく、穏やかな温もりが…

 心いっぱいに、広がってきた。





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