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爛れる月面
第4章 月は自ら光らない
「俺を幻滅させるなんて、至難の業だよ」
「む」
 紅美子は横顔だけを振り返らせて睨み、「……きゅーんとしちゃうから、やめて。早く仕事して」
「キュンとしてくれたの?」
「うるさいっ、早くやれっての」

 うん頑張る、と、徹も机へと戻っていく。

「今日はひつまむしです。うなぎは半分だけだけど。ステキよねー、うなぎが少しでもいっぱい食べられる。名古屋の人をホメてあげたい」

 話を逸らしたが、クミちゃん好きだもんね、という声は遠くなり、ふと寂寥を射し込まれた紅美子は、

「徹」

 と、背を向けたまま呼びかけた。

「ん?」
「はやく一緒に住みたいね」


   *   *   *


 結局井上は、一ヶ月近く帰ってこなかった。

 そして突然、空港から向かっている途中で電話をしてきて、マンションに来るように言われた。

 マンションに呼ぶ、つまり、抱く、ということだ。

 夕方分の弁当の仕込みのパートが終わったばかりだった紅美子は、家には寄らずに地下鉄へと乗った。井上のもとへ向かう疚しさは、半年経っても少しも薄らいではいない。毎度、誰か九段下の乗り換えで往く手を塞ぎ、神楽坂で降りようとするのを羽交い締めにして欲しかった。しかし、首都交通は恙なく紅美子を駅へと運び、足は緩められることなくマンションまで導く。キーをセンサーに翳して入口をくぐり、コンシェルジュの前を何食わぬ顔で通り過ぎ、エントランスを開けた時点で部屋には通知が来るらしく、ドアを開けると先に着いていた井上が立っていた。

「……私ゃ、デリヘルかっての」

 来るなり溜息混じりに言った紅美子に、井上は笑って、

「風俗嬢は鍵を使って入ってこないな」

 横身にして道を開ける。
 紅美子はもう一度嘆息し、スニーカーをスリッパに履き替えて、リビングへと入っていった。

「ずいぶんとラフな恰好なんだな」
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