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天狐あやかし秘譚
第92章 寤寐思服(ごびしふく)
☆☆☆
ぴんぽーん

謹慎食らって4日目、母の葬式の次の日のことだった。
夜8時に、俺の住んでいる官舎の部屋の呼び鈴が鳴った。築50年は経過しているが、陰陽寮によってそこそこのリノベーションがなされていたので、それほど不自由はなく過ごしていた。

ただ、施設面では問題はないのだが、右手が使えない今、不便なのは否めなかった。俺はこれでも一応自炊派なのだが、これでは包丁ひとつまともに握れない。いきおい食事は片手で食えるもの、パンとか、おにぎりとか、そんなのばかりになっていた。そして、ずっと着たきり雀というわけにはいかないので、着替えもするのだが、洗濯はさらに面倒だった。

昼間は昼間で手持ち無沙汰で困り果てていた。謹慎を食らった身では仕事に行くわけにもいかないし、さりとて普段、屋内でじっとしていることなどほとんどないので、家には暇をつぶすためのアイテムは全く無い。時間を持て余してしょうがなかった。

というわけで、呼び鈴の話に戻るのだが、こんな殺風景で退屈な部屋だ、友人を招くことなどもしたことがない。なので、呼び鈴など、ネットで注文したものが届く時くらいしか鳴らないわけで、そんな予定もないのに鳴ること自体、とても珍しいことなのだ。

なんだ?

不審に思いながらも俺は玄関のドアを開いた。果たしてそこに立っていたのは。

「み・・・御九里さん・・・こんばんわ」

誰?

そこにいたのは、本当に見覚えのない女性だった。下ろした髪の毛が軽く内側にカールしている。嫌味ではない程度にしっかりとした化粧をしており、唇にはぷるんとした質感のピンクのルージュが引かれている。パッチリとした瞳が俺のことをくりくりと見つめていた。

手には大きめのトートバッグを抱えるようにして持っていて、なんとなくそこからいい匂いがしてきていた。ブラウンかかったグレーの、すとんと落ちるラインが綺麗なジャンパースカート、それから白いブラウスを身につけている。その裾はふわりと広がって、手首のあたりでキュッと絞られており、そのボリュームスリーブがなんとも可愛らしい印象を与えていた。

ど・・・どなたさま?

そう言いかけて、やっと俺はそれが誰なのかに気づくことになる。この顔の輪郭、声・・・これに・・・メガネを掛けさせて、両おさげにして、頬のあたりにそばかすを散らすと・・・
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