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アムネシアは蜜愛に花開く
第3章 Ⅱ 誘惑は根性の先に待ち受ける

「大丈夫か!? 気分悪いないか!?」

 巽の真剣なその顔に、不覚にもわたしは……トクトクと心臓が早く打ち始めるのを知った。

 ……詰りたい。しかし彼の救助(キス)でわたしの呼吸は楽になれた。

 怒ることも出来ず、かと言ってキスをしてありがとうとも言えずにただ戸惑っていると、巽はふっと笑ったようで、わたしの頭を撫でた。

「アズ」

「……その呼び方は辞めて下さい」
「杏咲」
「専務。わたしのことは苗字で……」

 わたしは――見遣った巽の黒い瞳に、吸い込まれてしまった。

 彼の瞳の奥に、苛立っているのとまた違う、なにかの燻った火がちらちらと揺れているのが見える。

「俺はもうお前の弟でもない。今は専務でもない」

 ああ、巽の目の中にわたしが映っている。

 わたしだけを瞳に入れてくれている――そう思ったら、歓喜で胸が押し潰されそうになる。

「今、俺の前にいる藤城杏咲は、ただの女だ」
「……っ」
「お前にとって俺はまだ、弟なのか? 専務なのか?」

 巽の手が躊躇いがちに、わたしの手を取る。
 そして戯れるようにして触っていた後、指を絡ませて手を握った。

「……呼べよ。俺の名前、忘れたわけじゃねぇんだろ?」

 そして握ったままのその手を持ち上げると、わたしの手の甲にゆっくりと熱い唇を押し当て、挑発的な妖艶な眼差しを向けてくる。

 ぞくりとして、唇が戦慄いた。

 ……既に巽は、わたしの中では弟ではない。
 ずっとずっと、ひとりの男として好きだった男で、忘れられるはずのない初めての男だ。

 だけど。

「……由奈さんへの苛立ちを、わたしにぶつけないで、巽」

 わたしは拒むしか出来ないのだ。
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