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エリュシオンでささやいて
第8章 Staying Voice

「気をつけよう……」
正直〝好き〟よりも〝嫌い〟の方が、あたしの身体に浸透してしまっていて、口癖のようになっているのは否められない。
反省しながら、ピアノの椅子に縮こまると、イバッハのピアノがあたしを見ていて、なんとも複雑な気分になった。
毛布の上とはいえおかしな濡れはないかと念入りに調べ、乱暴にしてしまってご免ねと、机の上にあったボックスティッシュから取り出したティッシュで、鍵盤のひとつひとつを磨き上げる。
あたしが尊敬していた音楽家から譲り受けたという、かの有名なイバッハのピアノで、こんなことをするなんて。メーカーさんにも須王の恩師にも、色々と顔向けできない。
両手を合わせて、深々と頭を垂らして何度も謝罪をして、とにかくパンツを穿かないと動物に還ってしまうと、須王の寝室に戻り、なぜかベッドの上にきちんと置かれてある(勿論あたしではない)下着を手に取り、いそいそと身につける。
人間、原始はマッパで時折葉っぱで隠している絵画をみることはあるけれど、そこに一枚布地があるかないかで、随分と安心度が違うらしい。
あたしの着ていた服は、ハンガーにかかっている。
下着にブラウスとスカートだけを着て、キッチンで仁王立ちの後ろ姿を見せている須王を、影から窺い見る。
贅沢なレストラン三昧の肉食の王様が、限られた材料の中から、一体なにを作るのかと、我が子の初めてのおつかいを見るが如くの、このドキドキ感。
彼は、調理台の上に真横に並べられた、ジャガイモ、ブロックベーコンを目にして、腕組をしてなにやら考え始めた。
そして――。
「ちょっと買い物に行ってくる」
そう、上半身裸で行こうとするから、慌ててハンガーから背広を手渡した。それを羽織っては行ったけれど……、あの胸板に背広はなかった。
なんというか……見てくれと言わんばかりで。
女達が群がっているかもしれない。
それじゃなくても、フェロモンが凄いんだから。
迎えに行こうかとも思ったが、どこまで行ったのかわからない。
そうこうしているうちに、五分もしないで戻って来た。

