室生犀星の自伝的作品と言われる『性に眼覚める頃』。新たな読みの地平を拓く解説を付けた。
性に眼覚めるとは、なにを直視することなのか。一言でいえば、室生犀星の『性に眼覚める頃』は、世界をこの問いへと開いていく行為である。ただし、問いへと開かれた世界は、けっしてもう閉じられることがない。ある予感、ある観念、ある憧れへと、〈私〉を拉致しさり、そこが生を遠ざけるトポスであると知りつつ、〈私〉はそこ以前に戻ることを許されない。
主人公の〈私〉は、十七歳。落第続きを叱責されることもなく、過分な小遣いさえ父からもらいながら、寺の奥の院で自由に暮している。東京の詩の雑誌「新声」に投書した自分の作品が掲載され、地方在住の〈私〉の虚栄心を満足させる。「あの雑誌を読む人人はみな私のものに注意しているに違いないと思った。この故郷の人も近隣の若い娘らまできっと私の詩をよむに違いない。私は全世界の眩しい注目と讃美の的になっているような、晴晴しい押え難い昂奮のために、庭へ出て大声をあげたいようにさえ思った」。
しかし、それにとどまらず、というよりはむしろ、作品が掲載されたことは、彼を性の世界へとおもむろにいざなったであろうと想像される。なぜなら、「有名な詩人連に挟まれて、規律正しい真面目な四角な活字が、しっかりと自分の名前を刷り込んであるのを見たとき、私はかっとなった。血がみな頭へ上ったように、耳がやたらに熱くなるのであった」というときの身体の反応は、のちに〈私〉が女性にたいする時に感じるものと類比的だからである。
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SM そうせんせいさんの日記
爽快美療って?問いへと開かれた世界は、もう閉じられない
[作成日] 2014-03-14 22:59:26
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