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あの日 カサブランカで
第5章 ーあの日のカサブランカへー

「あのね、ちょっと訊いてもいい?」
ヘッドボード下のフットライトだけが部屋にぼんやりとした灯りを残している中で、肩に麻美の頭を載せていた村木野が顔を向けて口を開いた。
「はい…」
「麻美さん、塚本圭吾君って人知ってる?」
麻美の顔が一瞬動いた。
その名は…
学生時代に1年間だけ付き合って、彼の卒業後まもなく別れた2年上の先輩の名だった。
初めて知った“男”の忘れない名前である。
「ええ、知っています」
少し間をおいて応えた麻美の声はかすかに震えていた。
「そうか、やっぱり…」
「彼をご存じなんですか?」
「うん、学会の委員会で一緒になるメンバーなんだ」
「そうなんですか…」
飲み会のときに、昔付き合った彼女が今は大学の先生になっているという話を彼がしていたので、もしやと思って訊ねたのだと言った。
優秀な設計者だと言ったあとに何か言いたそうにも見えたが、村木野はそれ以上触れなかった。
「すみません… そんなこと知らなくて…」
「何も謝ることはない」
彼は抱いたままの麻美の顔を大きな眼で見つめて笑った。
「でも…」
「この業界も世の中狭いからね」
麻美の鼻先を指でつつくと彼はその唇をふさいだ。
「わたし嫌われてしまいましたか?」
唇を離した麻美が真剣な顔で村木野を見た。
「そんなわけないよ。 それならここへ連れて来たりしない」
「ほんとうに?」
応える代わりに彼は顔を起こして麻美の唇をもう一度強くふさいだ。
「やっとつかまえたんだからもう離さない」
そう言って彼は狂おしいように麻美の唇を吸い、耳朶を噛み、首筋に唇を這わせた。
整えたばかりのシーツは再び大きく乱れ、意識を失ったように彷徨う感覚を覚えながら麻美は村木野の腕の中で深い眠りに落ちていった。
いつのまにか開かれていたカーテンの向こうには群青色の空と暗い海との境界に茜色が広がりつつあるのを麻美はベッドから望むことができた。
「よく眠れた?」
バルコニーの窓際に立っていた村木野が振り向いて麻美に笑顔を見せながら声をかけた。
「はい、すみません、もう起きていらしたんですね」
「もうすぐ陽が昇るから顔洗っておいで」
彼に促されて麻美は傍らにたたまれていたバスローブを手に洗面所へと急いだ。

