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あの日 カサブランカで
第5章 ーあの日のカサブランカへー

個室で時間をかけてゆったりとした食事を終え、2度目の短い温泉から上がって麻美が部屋へ戻ると、かすかに揺れるレースカーテンの向こうでベランダに立つ村木野の姿が見えた。
湯道具を置いた彼女がガラス戸をゆっくりと開いて声をかけると彼が静かに振り向いた。
「寒くありません?」
「いや、気持ちいいよ」
丹前の前合わせをしっかりと留めた麻美が手を引かれて外へ出ると、風のない穏やかな外気が温泉で火照った躰に心地よかった。
半分欠けた月が凪いでいる海面を照らし、遠くには昼間見た陸地と思われる灯りがわずかに点在している。
見下ろした足元では速度を落とした電車がちょうど湯河原の駅に入ろうとしているところだった。
「寒い…」
少しだけ吹いた風に麻美が小さくつぶやいた。
村木野の手がその背中を抱き、もう片方の手で彼のほうを向かされた彼女はその胸に顔をうずめる。
「あたたかい…」
胸の前で縮めた両手ごと包むように抱きしめられた麻美の口からは思わず熱い吐息が洩れた。
頬ずりされるようにして彼の唇が重ねられる。
剃られていないひげになぞられた頬がくすぐったかった。
寒さのせいなのか喜びのせいなのかよくわからないまま、いたわるような彼の丁寧で長いキスに小さく震えが止まらなくなっていた。
「ごめんね、寒かったね」
「いいえ、あたたかかったです…」
ガラス戸を引いて部屋に戻された麻美はもう一度頭を彼に包まれて深いキスを受けると、そのまま抱き上げられた。
「だめ… 重いから…」
そんなふうに抱かれた記憶はたぶん子供の頃以来なかったような気がしていたが、黙ったまま彼はその躰をベッドに運んでそっと下ろした。
「朝焼けを見せたいからもう休もうか」
眼の前で見上げた村木野がそっと微笑んだ。
はい、と小さくうなずいた麻美の瞼に彼が唇を寄せる。
そしてその唇はおくれ毛の残るこめかみから耳へゆっくりと這うように移り、耳朶が甘噛みされた。
麻美のうなじから背筋に、もう長い間忘れていた痺れるような感覚が走る。
彼の愛し方はとてつもなくやさしかった。
あのフェズの深紅のベッドで胸に置かれたまま動かなかった彼の手は静かに麻美の躰の上を滑りはじめた。

