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エリュシオンでささやいて
第8章 Staying Voice

「柚、プールの底に足着いてみろ」
唇を離した須王が、優しく微笑む。
「俺の隣に、足を着けて」
彼の言葉が、単純に今の位置のことを示しているのではないとわかった。
恐らくは、不安からくる彼の懇願を耳にしたあたしに、あたしが重荷になって揺れないように、あたし自身の意志での安定をと、言っているのだと。
「無理なら、いつでも俺が支える」
……そうだね。
嫌だ、駄目だ、だけでは、この先乗り切れない。
苦手なものをあたし自らが、克服していかないと。
あたしの頷きに、お尻を支えていた彼の手が一本抜き取られ、あたしの足が水に落ち……床に着いた。
「大丈夫?」
「うん」
思った以上に深くないし、怖くない。
須王の片手を握りながら、もう片足も自分で下ろしてみたら、妙な感慨が湧いてくる。
「どうした?」
ちょっと笑ってしまったあたしに、怪訝な顔を向けられる。
「いや、ちょっとね……、人魚姫が二本足で陸に上がった時、〝陸の感触も悪くない〟って思ったんだろうなと思って」
「なんだ、そんなに感触いいわけ?」
斜めから見下ろしてくる須王は、唇を吊り上げる。
「うん。とっても気持ちよくて」
「そうか」
「やっぱりなんでも、出来ない・やれないじゃ駄目だね。まず最初にやってみないと。案外厄介なのは自分の恐怖だけで、現実はそこまで深刻じゃないかもしれない」
「はは。なに成長してんだ、ひとりで」
須王は笑いながらあたしの頭を撫でた。
傷つくのが怖いからと自分の殻に閉じ籠もっても、なんの解決にならないのかもしれない。殻から出ない限りは、景色はなにも変わらない。
妄想と恐怖心はどこまでも増大する。
どこまでが現実の姿なのか、見失っているものだ。
須王が怖いと逃げてきた九年間。
あたしは言葉で隠されてしまった彼の姿を、見ようともしなかった。
女帝は理解者になるはずはないと、そう思い込んでいた。
エリュシオンには、あたしは味方がいないものだと、思っていた。
一歩踏み出したら、認識が変わる。
暗闇が晴れる世界が素晴らしくて――。
少しずつ、歩いていきたい。
愛おしくてたまらない、この世界を。

